遺骨

最近は某国の核実験とかミサイル発射とか、近隣で物騒な出来事が多くも、もしかしたら、日本はまた戦争に突入したり、
巻き込まれたりするのでは と少し先行き不透明将来に不安が隠せません。

看護師なら、やっぱりかりだされますかね?
とかおもっちゃいます。

戦争なんかでしにたくないです。

俺の死に場所は
コスモス畑の中か、南極か、北極か、エベレスト山頂か
愛される家族にみとられたいと思ってます。

病院の白い天井をみて死にたくないな~。

満天の星空の下か、青い空と、真っ白な雲と太陽をみながしねたらいいなぁ。と思います。

さてさて、戦争がらみになると、太平洋戦争を思い出します。
祖父の話ですけどw

祖父は南方とよばれる、今で言う東南アジア諸国で戦ってました。
途中で多くの仲間や、現地人や、敵(敵という表現もどうかと思うが・・・)
が死んでいく様をみてきたそうです。
生きて返れることは、とても嬉しいことだけど、
本当に大切にしてきた戦友や部下が死んだのに、俺だけ生きて返ってくる ことに罪悪感と後ろめたさを感じたそうです。

たった一歩、戦友が俺より先に歩いてくれたから、俺は撃たれなかったとかリアルすぎる・・・

祖父は死んだら遺骨は墓なんかにいれなくていい、太平洋に撒いてほしいといいます。
子供のときは、その気持ちは理解できなかった。

でも大人になって、そのきもちは少しずつわかるようになってきた。

そんなことを思っているときに、ちょうどタイでまだ日本兵の遺骨が回収されず、道端にころがっている特集をやっていた。
http://ww7.tiki.ne.jp/~intuji/

http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0004/asia/asia_8nd.html


戦後60年、日本だけでなくいろんな諸外国で戦争の犠牲者となった魂が癒されることなく、また戦争の危機がくると思うと切なくなります。

今でこそ、東南アジアは素敵なリゾート地だけど、そこで
死んでいった人たちがいるからこそ、こうやって俺も生まれ
生きていると思うと、生きていることの大切さに気づかされる。

毎日を丁寧にいきていきたいなと思います。(^^)