告知するということ

自分のおもったことや事実をそのまま相手にぶつけることは、人の思いや気持ちを踏みにじったり、また傷つけることがあると実感した…

今日は特に大切にしたい家族に対して、思っていることをそのままぶつけてしまい、傷をつけてしまった。
やはり家族でもいってはならぬこともあるのだろう…

いつ病態が悪くなるかわからなく、死を意識する時間が長いと、自分の人生を振り返ることが多くなると思う。
「自分の人生は、これでよかったんだ・・・」とおもって死んで生きたい。
もし自分の過去や気持ちを踏みにじられたばあい、相当の苦痛になるだろう。

しかし、僕は自分の何気ない一言によって、その人の人生を否定してしまった。
言った内容は、決して間違っていなかったけれど、その人の置かれている
状況や、どうにもできなかったことを考えると、思ってもいってはいけないものだった。

そんな気遣いもできなかったのかと情けなくなる
看護師になる人間がそれでいいはずがない…

祖父には戦時中に足がなくなった戦友がいた。
その戦友は地雷を踏んで吹き飛ばされ意識をなくし、病院に運ばれた。
そして祖父の隣でねていた彼はある日目を覚まし、「足がさむいんだよね」といった。

「そりゃ足が切断されてるからな・・・」と告知したら
その夜彼は手榴弾で自決してしまったときく。

告知とはそれほど自分が想像している以上に、告知される人間の状況によっては責任が重く 影響があるなぁとおもった。

「言葉で人は生かされもし また殺される」か・・・

まだまだ修行をいっぱいする必要があるようです
あい おもいやり いたわりの 気持ちをいつも胸に収めていきたい。